長崎県雲仙市瑞穂町の名所情報サイトです。千年の湯などの施設をはじめ楽しい雲仙市観光スポットが盛りだくさん!!

雲仙市瑞穂町についてタイトル
雲仙市瑞穂町は現在、平成17年10月11日、「国見町」「瑞穂町」「吾妻町」「愛野町」「千々石町」「小浜町」「南串山町」の7町で合併により、雲仙市に属しています。長崎県の西側に位置する雲仙普賢岳がある島原半島北側に雲仙市瑞穂町は位置しています。
雲仙市瑞穂町内には島原鉄道の駅として古部駅、大正駅、西郷駅の3駅が今も運営しています。
藩制時代は、島原藩所領の西郷村・伊古村・伊福村と佐賀藩・神代鍋島氏所領の古部村・伊古村に分かれていました。
明治4年7月の廃藩置県で島原県になり、さらに同年11月には島原県が廃止され、長崎県の管轄となりました。
明治12年には郡制が施行され南高来郡役所の管轄となりましたが、明治22年の町村制実施によって西郷村と伊古村が合併して西郷村となり、古部村・伊福村は組合村 を作るが大正15年には大正村となりました。
西郷村の起こりは、古代・中世の頃、南高北目一帯は「肥前国高来西郷」と呼ばれていました。また、「西郷氏」という豪族が、杉峰城を中心に本町から諫早方面まで勢力をふるっていたので、その名が付けられたともいわれます。
伊福村は、中世の豪族「伊福氏・大河氏」が支配していたことに由来するそうです。
瑞穂町歴史探訪(平成24年11月18日)
瑞穂町歴史探訪では岩戸神社と役小角像を訪れました。岩戸神社は全国でも有名なパワースポットの一つにあげられます。参道の入口から本殿まで約350mほどあります。古期雲仙火山活動時の溶岩の先端に位置するのだそうです。岩戸神社本殿が位置している洞窟は、縄文時代の土器片や石斧などが採集されています。つまり縄文時代以前には洞穴は住居であった可能性があります。参道にある鳥居(天保6(1835)年建立)があります。如意山照国寺大徳院宥寿建立とされています。 瑞穂町岩戸神社
瑞穂町岩戸神社(雲仙市)
役小角像(えんのおづぬぞう)
大河城跡(おおがじょうあと)
岡城跡(おかじょうあと)
高田城跡(たかたじょうあと)
柿ノ元古墳(かきのもとこふん)
西郷駅(さいごうえき)
西郷駅は雲仙市瑞穂町の中心駅です。通勤通学のために毎日利用されています。昔は数名駅員が勤務していたようです。
米作が少ない島原半島において『西郷米』といえば献上米として有名な作物のひとつでした。その西郷米を、戦後主婦達が西郷駅から長崎まで売りに行く時代もあり、養蚕も盛んで、マユの出荷駅としても有名でした。
雲仙市瑞穂町西郷駅
西郷駅の昔(雲仙市)
古部駅(こべえき)
古部駅は雲仙市瑞穂町の最も西にある無人駅です。海に近いため高潮の波が駅舎を襲います。瑞穂町からの通学生が主に利用しています。自転車置場を隔てたところにある枝ぶりの良い老松だけが、昔の姿をとどめています。 雲仙市瑞穂町古部駅
古部駅の昔(雲仙市)
瑞穂町伊古遺跡(いこいせき)【雲仙市】
雲仙市伊古(いこ)遺跡では、約1万2千年前から人々が暮らしていた痕跡や生活道具(土器・石器)が多数発見されています。縄文時代のもので約1550点以上の細石器や土器が出土しています。弥生時代のものは、甕棺・甕・壺・高杯・鉢・石斧・石包丁などの出土品がみられます。古墳時代のものは、須恵器・土師器・勾玉・管玉・耳飾りの銀環などのお墓に供えられる副葬品なども出土しています。奈良・平安時代のものは、貴族・役人が着けていたベルト飾りの丸鞆とよばれる破片が出土しています。中世のものは、五輪塔・土師質土器・瓦器椀・石鍋、中国でつくられた青磁・白磁などが出土しています。
主な遺構としては、弥生時代の環濠や溝跡、住居跡やお墓跡、中世の土器がたくさん集中して使われた祭祀遺構、鉄を作るための製鉄炉跡、石敷きが78mも続く道路状遺構、建物の痕跡である竪穴状遺構、掘立柱建物跡が検出されています。
雲仙市瑞穂町伊古遺跡見学会
 平成20年9月伊古遺跡見学会(雲仙市)
屋敷(住宅)を建てる土地
雲仙市瑞穂町は丘陵と谷との間の傾斜地に畑と屋敷を開いています。
良い屋敷の条件は湧き水(デミズ)が近くにあり、道路に近く農作業のために庭が広く取れて、日当たりの良いことでした。自然の傾斜面だけでは、屋敷としては狭いため、山石を積み上げ石垣を築いて、裏山を切り崩し屋敷を広げています。
家屋の構造・屋根型
農家は寄せ棟の平屋建てで平入りが一般的。
地主は瓦屋根で入母屋造りであったそうです。
小屋はほとんどが麦藁葺き、壁は竹を組み藁を入れた土壁であった。
材木
昔から雲仙市瑞穂町地域では木は近くの山から出しました。杉は柱。椎の木は大黒柱・ヒラモン・ダンバコ。
松は梁・ヒラモンに使う。椎木には白蟻(ドート)がつかないと言われおり、木は三月、九月に切る。彼岸に切った木は皮が剥けるという。山を持たない家は、山持から木を買ったそうです。
鍵屋(かぎや)造り
雲仙・瑞穂の集落を構成する住まい要素に民家がありました。
瑞穂村から瑞穂町になる時期に37戸のかぎやが存在していました。
島原半島では島原市の武家屋敷がかぎや(鍵屋)造りで目立っています。
日本民家の基本的な標準型が四間取り(田の字型)で占められています。かぎや(鍵屋)の場合も同様です。
典型的な農業集落では民家はつまり農家であり、母屋と納屋から成り立つ暮しです。
母屋はホンエ(本家)というくらい住まいの中心で、畳の間が暮しの上で重要です。
雲仙市瑞穂町の風景
古部の城
雲仙市瑞穂町の人は「宿ん城」と呼んでいるそうです。(瑞穂町誌より)
草村ストアのある場所から先は小高い岡に成っていました。そこが宿の城跡だと言い伝えられているところです。
岡城の外城の一つではなかったとか言われています。
(昭和八年 大正尋常高等小学校刊「郷土調査」による)
雲仙温泉の歴史
雲仙温泉の開湯は701年(大宝元年)に、行基によって温泉山満明寺が建立されたことに始まる。
同時に四面神を祀る温泉神社も建立されたとされる。

雲仙温泉が温泉地として開発が始まったのは約350年前、松平忠房の命により湯守を勤めた加藤善右衛門が湯宿(現在の湯元ホテル)を設置したことによるとされる。

幕末には吉田松陰が当地を訪れた。またシーボルトらにより海外へも紹介される。

明治・大正期には上海租界の欧米人の保養地として繁栄。
当時、長崎は上海の蒸気船などに対する石炭供給地であり、雲仙温泉及びふもとの小浜温泉とともに上海租界の後背地を形成していました。

1934年(昭和9年)に国立公園に指定されるまでは、「温泉」と書いて「うんぜん」と呼ばれていましたが、指定の際に雲仙と改められました。
雲仙市瑞穂町の名所・観光スポット・祭事(観光情報)
・モーモーフェスティバル in みずほ
・瑞穂町特産品まつり
・みずほ夏まつり
・長崎県ジャンボかぼちゃ大会
・瑞穂温泉千年の湯
 「みずほ温泉千年の湯」施設にはヒノキ風呂や岩風呂、打たせ湯、サウナなどが完備されています。
・みずほフレッシュ朝市
・みずほ特産フェスティバル
・岩戸神社
長崎県雲仙市瑞穂町 について
2006.10.22